小山、小山家、小山氏、小山氏族、小山一族 に関して

小山 弘二著『下野国小山氏と信濃・越中国の末裔たち ---- 藤姓小山氏の歴史と先祖歴史偽造問題 ----』

上掲書が、令和2年10月に完成しました。
小山氏族の歴史に関する論文・史料集です。

詳細については「小山氏族と小林氏族の歴史」のブログへお飛びください。

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小林氏族の歴史──古文書・古記録を中心とする資料集──


『小林氏族の歴史──古文書・古記録を中心とする資料集──』


編著者 小山 弘二

 

 この度『小林氏族の歴史──古文書・古記録を中心とする資料集──』を上梓することになりましたので、ここにご案内申し上げます。


注:2018(平成30)年10月01日より寄付金は5,000円(一口)とさせて頂きましたが、2023(令和05)年6月18日より、寄付金は10,000円とさせて頂きます。申込等についてはブログの方をご覧ください。

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【小林氏について】 小林姓は大変多く全国十二万余種ある姓氏の数の順位は七位に位置しているほどの大姓である。県別名字ランキングでは東国に多く、長野・茨城県が第一位、群馬・山梨県第二位、新潟県第三位の順位で、西国では兵庫・岡山県が第三位にあり、三重県第四位、広島県第五位以下、満便なく全国に分布している(県別「名字ランキング事典」)。

 全国各地の多くの小林さんは、「先祖のルーツ」を知りたいと思っても「名字の発祥の地」や「文書史料」などについても存在するのかしないのか、全くわからず探しかねていたのである。このことに関わるよい例があるので挙げてみよう。

 『武蔵武士』大正二年三月、埼玉県学生誘掖会というのがあって、県内の若い史家を育成のため同会会長渋沢栄一(子爵・号青渕)の序文になる同書の系譜伝記について、抄録編纂を若い頃の文学士渡辺世祐・八代国治の両氏に依頼した。その後、昭和四十六年三月第三刷が発行された。同書四十三頁によると、

 「重綱の二子重隆は、秩父二郎大夫と称す。帯刀先生源義賢に仕へ、義賢と共に悪源太義平の為に比企郡大蔵館に殺さる。重隆始めて入間郡河肥庄を知行して其地に居住す。子孫因りて河越氏と称す。頼朝に仕へて鎌倉幕府の元勲となりし河越太郎重頼は、即ち重隆の孫なり。重隆の弟重遠は入間郡高山に居住して高山三郎と称す。今秩父郡吾野村の大字となる。重頼の弟重弘小林次郎と称す。重弘の弟重経は師岡氏を称す。重経、義経に従て木曾義仲を征し、功を以て兵衛尉に任ず。又頼朝に奥州征伐に従ひて功あり。小林は今荏原郡矢口村、師岡は橘樹郡旭村の大字となる(原文のまま)。」

 小林氏は、上野国緑野郡高山御厨小林(群馬県藤岡市小林)の地が名字の地であるにも関わらず、荏原郡矢口村(東京都大田区矢口)[これは誤り]とし、出典を大田亮『姓氏家系大辞典』・吉田東吾『大日本地名大辞典』としている。したがってこれらの資料は全く理解できない。

 この当時は、小林氏の出自についてその曖昧な所在地すら述べられず、もちろん「名字の地(本貫地とも言う)」もわからなったに相違ない。このように長い間、この程度しか知ることができなかったのである。


【小林家文書の発見】 明治と改元されると、姓名・名字(苗字)・称号・戸籍などに関わる法律が、政府の太政官布告や地方の法令(明治元年の京都府戸籍仕法・明治二年三月の東京府戸籍法令)などが次々に出された。特に明治八年(1875)二月には、「平民名字必称義務令」が太政官布告として発布され、全国民は必ず名字を称すこと、さらに先祖以来の名字が明かでない場合は、新たに名字を設けることが義務づけられた。  この国民改姓(明治四年「壬申戸籍法」・新戸籍の編成)に際して、各地の身近かに多く存在する小字の「小林」という地名を名乗りの根拠としたとも考えられ、これが小林一族の多くを扶植した原因の一つとも考えられる。

 庶民は突然、名字を名乗れといわれても数百年以上の長い間、馴染みのない名字というものに戸惑い混乱したことが想像される。現在でも、思いつきなどで付けた名字など珍名・奇名が存在していることからも大変な状況だったことがわかる。

 群馬県藤岡市内に小林という地名は知られていたが、一般にこの小林の地を発祥の地とする小林氏は、それほどの大族になるとは知る由もなかった。全国各地に存在する小林の地名に因んで派生した諸他の系統と思われる小林氏が、根拠も確証もないのに同系統・同族などと同一視できるわけもなかった。  ところが昭和六十。四年頃、藤岡市小林の地を名字とする小林氏の本宗と思われる小林家の古文書が山形県(山形市東籠野町 小林滋家所蔵文書)で発見されたのである。その後「群馬県史研究29号」の資料紹介欄に「小林文書」として発表されたのである。その文書の内容から、南北朝期より江戸期にいたる古文書三十点が明らかになった。その結果、兵庫・広島県内に小林一族に関わる文書資料が多量に存在することがわかり、これらの小林文書が西国の史上につながり、小林氏の動向が南北朝・室町期の重要な空白部分を埋めるに足るものとなったのである。

 これらの文書群は、小林氏が北関東にとどまらず往時の首都京都をはじめ兵庫・広島地方にまで足跡を残し(多くの文書資料)、さらに末裔は、群馬県はもとより栃木・東京・埼玉・茨城・千葉・長野・山梨・新潟・山形・兵庫・広島各県へ繁衍していったことが確かめられる。勿論小林一族はさらに全国各地へ分布していったことは充分に考えられる。

 冒頭の小林氏発祥の地について説明しておきたい。昭和六十年四月号の月刊誌「歴史と旅」(秋田書店)に掲載された丹羽基二(姓氏研究家)著「佐久間ランキング上位苗字の地名分布」に、全国七位の小林氏に関わる当時の状況がわかるので参考にされたい。なお、昭和三十八年刊行の大田亮著『姓氏家系大辞典』もその内容は大同小異であって、小林氏の存在を確証とする文書などの発見又は所在など皆無であり、要するに発祥地である名字すらはっきりしなかった。それ故に、大族小林氏の発祥地を「奈良県宇陀郡小林が著名」としたのだろう。


【 小林氏の名字の地】 平成十八年春、編者は、平姓秩父系小林氏の名字の地である群馬県藤岡市の小林の地を訪れた。実は十八年前の平成元年に(1989)の戦国氏研究会例会報告(吉川弘文館刊)に、小林文書発見の記事が載っていたことを思い出したことから、急に現地にいってみたくなったのである。

 この資料に興味をもつ端緒になった記事の内容は、同研究会の第一一一回報告「新発見の小林文書について」峰岸純夫とあるもので、これを転記してみよう。

 「山形市の小林滋氏宅から中世文書二七点

、近世文書三点が発見された。この文書は上野国高山御厨の高山・小林氏という同族団(党)の小林家の文書で、小林氏は鎌倉時代の地頭・御家人、南北朝以降は上野国人あるいは上杉氏の守護被官として活躍した武家である。上杉憲政が後北条氏に追われて越後へ遁れた後、武田氏に属して活動し、武田氏滅亡後は浪人となり、近世初頭に結城山川に入部した水野家に仕え、二〇〇石の武士として明治維新の際に山形県に土着した。この間の事情は同家所蔵の家譜にも詳しい。」

 小林家文書は南北朝以降の文書で、小林重政言上状(新田義貞外題国宣)を筆頭に、足利尊氏(二点)、上杉氏(憲顕・憲実・憲房・憲政〈憲当〉)(一一点)、武田氏(信玄・勝頼)(七点)がその 主要部分を占める。これは小林氏が上野国人ないしは守護被官として上杉氏と密接な関係が あり、とりわけ上杉氏が平井城を本拠にして以後、その周辺部に勢力を張る小林氏はここ平井城の盛衰と歩みを一にしている。朱印状(印文「乾貞」)二点を含む憲房三 点は永正の乱後の、憲政文書六点は河越合戦前後の、ともに史料的空白を埋める貴重なものである。憲政の越後への退去以後、西上野は武田氏の支配するところとなり、小 林氏は武田氏に属して所領の安堵・宛行を受けている。

 その他、大井貞清・村上義清という東信濃の武士の発給文書は、天文十七年の上田原合戦前後のもので、北上する武田信玄の軍に抵抗するため大井・村上らは上杉憲政の援助を受け小林氏らが赴援して信・上の同盟が成立したことを示している。この他、不明「長(花押)」の文書二点、足利義氏・滝川一益文書各一点がある。近世初期文 書は、武田(徳川)信吉文書一点と水野忠善文書二点で、小林氏の近世水野藩に仕する経過を示している。この文書は、『群馬県史研究』二九号に写真入で紹介されてる。

 平姓高山系小林一族の家系は、この文書群の発見によって、謎だらけの歴史的経過が点から線へと、かなり明かになってきたのである。


【小林家の興起】 平姓秩父氏流小林一族の末孫である個々の家系は、記録に残る保元・平 と一族の扶植 治の乱(1156〜59)から平成の今日迄八百五十余年におよぶ長い 間、消長をくり返しながら歴然たる家系を継承してきた。

 鎌倉時代(1185〜1333)には幕府の御家人として『吾妻鏡』にその活躍が記録されている。南北朝の内乱(1334〜92)には、足利尊氏に従属、西国まで遠征しており『太平記』に精しい。

 室町時代の応永年間(1394〜1427)には、西国 では守護山名氏の配下として、伯耆(鳥取)・丹波(京都)・安芸(広島)など守護代として従事し,かなり長期にわたって各地に転戦、各地の守護所にあったことが現地の寺院などの文書資料で知られる。

 南北朝の内乱から応永の乱までおよそ百年、小林一族の一部の者が西国の地に土着したことも充分に考えられるのではなかろうか。

暦応四年(1341)、越後守護上杉憲顕は南朝勢力の蜂起が盛んになったため、一族と共に関東武士を率いて越後に出陣、この軍勢に加わった者の中に小林重政がいたのである。小林孫五郎重政がこの合戦に参加した、その時の戦功を認めた着到状(小林滋氏所蔵文書)が現存する。戦場となったのは上田庄関郷である。

 戦国期の上杉謙信の養子景勝と家臣直江兼続は幼少時に共に学んだ寺が、現魚沼市雲洞に所在する雲洞庵がある。この庵寺は室町時代、永享元年(1429) 禅宗(曹洞宗)傑洞能勝禅師(俗名楠正成の孫、楠正勝)を草創とし越後の大禅道場として今日にいたる。特に永享年間には勅許を得て官寺として十万石の赤門として建立され、その後、江戸時代の宝永四年(1704)再建、当時は皇室・大名などの来訪の時と、年一回開けるのみで通常は脇の黒門を使用した。このような格式の高い越後一の庵寺であった。この地方に、上杉氏の家臣に平姓小林氏の支族が定住していたと考えられ、雲洞庵に小林氏(又左衛門)の大型位牌が現存する。これが前掲の着到状とともに小林一族の越後進出の微証となるのではなかろうか。

 さらに、貞和二年(1346)十月五日付の小林系図の末尾に、播磨・若狭・越後その他諸国に一族数多(あまた)を派遣していた事実が、本宗の人物と考えられる小林彦七郎平行重が書き遺している。これが過去の主な行動として、小林一族が各地に遠征している貴重な記録である。  文書・記録などの資料によって、丹波(京都・兵庫)・但馬(兵庫)・備中(岡山)・安芸(広島)・伯耆・因幡(鳥取)国地方へ、守護大名山名氏のもとで守護代として小林氏が四・五拾年(数世代)にわたって活動していることが知られるのである。この時点で一族の中から土着する人々があったことが推測され、西国の社寺その他に所蔵される古文書・記録資料などによって知ることができるのではなかろうか。

 貞治三年(一三六四)十二月二十二日付、山名時氏奉書に小林民部大夫の名がある。この時点から足利幕府の奉行人山名時氏と郷土(上野国)を同じくする小林(重長)氏が、足利尊氏から満氏にいたるあいだ守護大名山名氏の与党として、中央の京都から西部地方へ転戦、この間、連戦連勝をめざして領地拡大を夢見ていたであろう。しかし、志なかばにして、重長は「明徳の乱」(一三九一)に戦没してしまうのである。

 山名時氏は応安四年(一三七一)二月に没し、そのあと時氏の四男氏清が嗣いで、丹波国守護になっている。守護代の小林氏は重清の代になっており、「応永の乱」に遭遇することになる。「明徳の乱」に父重長が戦没したのについで、またしても八年後の「応永の乱に大内氏との激戦の末、大阪堺の戦陣にたおれたのである。重清没後、小林氏の消息は史上に現われなくなるので、一族の本宗の係累は本貫地上野へ帰国したものと考えられる。重長・重清二代の半世紀におよぶ西国戦線について、本書に収録された以外の文書・戦乱の記録や小林氏の私的な記録などは一切見あたらない。

 応永の乱後(一三九九)の西国の情勢は、守護山名氏のもと在地支配を行使する守護代は、八木・山内・大田垣・垣屋にかわり諸氏の名が史上に現われるようになる。  西国に所在する文書資料の内容から小林一族の一部の残存した支族は依然として播磨・但馬・丹波地方に居を構えたと考えられ、その後の足跡を物語る関連文書を遺している。したがって小林一族は、本貫地(名字の地)である上野国(藤岡市小林)と西国各地に残る支族の人々とに二分され、ともに長い歳月を重ね今日にいたる一族の扶植は盛んに行なわれたものと考えられるのである。

 南北朝期の暦応年間(一三三八〜三九)から百三十年後の文明元年(一四六九)九月十五日付、播磨守護代浦上則家奉書(久我家文書)に宛所として「小林一族中」とあり、これ以降も文書資料は存在するが、これらの西国に伝わる小林氏に関わる資料は、西国の小林氏の今日ある証左ではなかろうか。

 京における「永享の乱」に際して、永享十二年(一四四〇)九月二十一日付、小林尾張守宛(小林滋家所蔵文書)があることから、小林氏重清の弟などを一族の長(本宗)に擁立したとも考えられ、尾張守を称する人物が見えている。この頃から主流は、関西地区を離れ再び関東の一族と共に上杉氏の配下として活動することになるのであろう。


【「小林氏の歴史」】 編者は、今から二十六年ほど前の東京在住時代、「日本氏族会連絡 の資料集編纂   協議会」(東京)・「藤裔会(春日大社)」(奈良)・「全国小山会」(栃木)・「日本家系図学会」「長沼・皆川会」(東京)・「信濃氏族会」(長野)・「菊池の会」(熊本)・「東京歴史研究会」(東京)など諸団体に関係していたことで、歴史・氏族・家系・名字及び会の組織などについて全国各地から質問や相談などが寄せられた。その中でもっとも多かったのが「小林氏の出自」だったと記憶している。当時、小林氏は「佐久間名字ランキング」全国七位という大姓でありながら、古文書や名字の地など歴史的根拠になるものは一般に知られていなかった。それが前掲の古文書の発見によって、小林一族についての事跡が長い間わからなかったが、今日、量的に充分な史料といえないまでも解明への端緒となったのである。

 平成元年、勤務先を定年になったのを機に終の棲家を、栃木県下都賀郡藤岡町(平成二十二年四月、栃木市と合併)に居を移した。

 この年早々に、栃木県立文書館より史料所在調査員の委嘱を受け、藤岡町内諸家に家蔵されている古文書史料の収録事業を町内学識経験者らとともに従事、三万点余の史料を目録化しB5判三冊本にまとめられている。この組織をそのまま延長、藤岡町古文書研究会を創設(毎週土曜日午前中、史料読解と研究)、機関誌「藤岡史談」を年一回發行、現在にいたっている。

 同八〜十六年の八年間、自治体史である「藤岡町史」全十巻 監修峰岸純夫の編纂事業に関わる。この事業の終わった翌十七年の夏、家内に先だたれ失意の日々の明け暮れを無気力に過ごしていた。この年の冬、東京の小林某家から一通の手紙をいただいた。かって、小林家の家系探究の相談にのっていたこともあって、しばらく文通したのち、再び小林家の家系探究に協力することと、同十九年一月から資料蒐集に着手することを約した。その後、身体の不調から入退院をくり返し、遅々として進まないながらも編纂に従事し、今日にいたっている。

以 上

【内容と配布形式について】
 ・平姓小林氏を中心として、各地の諸姓小林一族の古代末から現代までの歴史と、その関係資料を、北関東から西国まで網羅(内容の概要については下の本文目次をご覧ください)。
 ・A4横 縦書き、約1000枚(2000頁)
 ・量は「文藝春秋」本の大きさで、5冊程度です。
 ・一太郎文書およびPDF形式にて閲覧可能,印刷可能です。
  一太郎文書を閲覧、印刷する場合は、一太郎ビューアを
   http://www.justsystems.com/jp/download/viewer/ichitaro/
  よりダウンロードしてください。
(なお、当CDまたはUSBに同封してありますので、お使いください)
  また、PDFを閲覧、印刷する場合は、Adobe Acrobat Reader DC を
   https://get.adobe.com/jp/reader/ 
  よりダウンロードしてください。
  (なお、当CDまたはUSBに同封してありますので、お使いください。バージョンアップは各自でお願いします)
・以下に内容の概要を示す目次をあげておきます(なお詳細な目次は文末に添付しました)。
    
 は じ め に
  小林氏族について
   基本資料
       系図と苗字(名字)の歴史
       平姓秩父系小林氏の出自と系譜・資料2
       小林一族の古文書・古記録・資料3
        ?峰岸純夫編箸『古文書の語る日本史』5戦国・織豊
        ?小林氏に関わる古文書・古記録資料目録
  一   鎌 倉 幕 府 と 武 士
  二   南 北 朝 の 内 乱
  三   室 町 期 の 東 国 と 西 国
  四   戦 国 期 の 争 乱
  五   戦 国 織 田 ・豊 臣 政 権
  六   江 戸 封 建 時 代
  七  明 治 維 新 と 近 代 社 会
 あ と が き


【申込み方法】
 ・CDあるいはUSBでお送りします。
 ・本書を作成するためかなりの時間と経費がかかっておりますので、寄付金の形でご協力いただければ幸いです。
 ・寄付金10,000円(一口)からです。
 ・申込みは葉書にてお申込みください(電話は不可)。
   葉書には、郵便番号、住所、氏名、電話番号、CDかUSBか、をお書きください。
   (よろしければ、メールアドレスもお書きください。
    緊急時の際は代理を通じてご連絡いたします。)
   これらについては、他の用途では使用しません。
  CDを自分で複製するため一度にはたくさんできません。遅くなる場合にはこちらから進行状況をお知らせします。
   ご了承ください。
  上記の葉書の申し込みとともに、現金書留にて上記寄付金をお送り下さい。
 ・なお、内容についてご不満の場合は、ご返送下さい。寄付金はお返しします。


・申込み先
  郵便番号 173−0023
  住  所 東京都板橋区大山町30−8−404
  氏  名 小山 英一

  ・問合わせ先
  3 2 3 - 1 1 0 4 栃木県栃木市藤岡町藤岡 2 0 3 0 - 1 1
  0 2 8 2 - 6 2 - 5 9 1 7(問合わせのみ)
                       小山 弘二

 【重 要】以下の点にご配慮ください。
 ・小林氏族の歴史の研究・資料として大いに使って頂きたいのですが、前記したようにかなりの時間と経費がかかっておりますので、他所への丸ごとの転載はお許しくださいますようお願い申し上げます。
 ・以下、本文の目次です。参考としてご覧ください。なお、頁数は省いてあります。

         はじめに
             小林氏族について

        基本資料

          系図と苗字(名字)の歴史
             平姓秩父系小林氏の出自と系譜・資料2
             小林一族の古文書・古記録・資料3
             ?峰岸純夫編箸『古文書の語る日本史』5戦国・織豊
             ?小林氏に関わる古文書・古記録資料目録


    一   鎌 倉 幕 府 と 武 士 
             時代概説
              平姓小林氏
              資料4 小林一族と城館跡
             古記録などに載る小林氏
             「吾妻鏡」と小林氏 資料
             伝記曽我物語 資料
             高山・小林一族 資料
              将軍頼経に供奉する小林兄弟 資料
              将軍宗尊親王供奉の小林小三郎 資料
             但馬国の地頭 資料
             小林平四郎入道道義 資料
             古代氏族の小林系図参考資料
              近藤敏嵩編『古代豪族系図集覧』 資料
              鴨・泉亭・梨木・広庭(小林)家系図
              甲斐・雨宮・両角・小林家系図
              大伴・伴(小林)家系図
 
    二   南 北 朝 の 内 乱
             時代概説
              資料 楠木合戦注文 
             小林孫五郎重政 資料
             関東管領上杉憲顕 資料
              資料 越後の戦いと小林重政
             伯耆守護代小林左京亮
              資料 清水正健編『荘園志料』下巻 伯耆国
              新丹波守護代小林左京亮 資料
             康永元年の小林氏
              観応の擾乱と小林氏
              貞和二年の小林系図 資料
              足利尊氏袖判下文と小林氏 資料
              小林民部丞と遵行状 資料
             「太平記」の記録 資料
              資料 「山名家譜」山名家先祖譜伝
              格勤者小林五郎 資料
             山名氏十一ヵ国守護
              山名氏系図
             代官小林民部大夫 資料
             山名時氏西国進出 資料
             丹波守護と守護代小林氏
              小林小五郎重次ら熊野詣り 資料
             明徳の乱 資料
              不安定な足利政権
              小林重長の討死
              南北朝内乱の終焉

    三   室 町 期 の 東 国 と 西 国


             時代概説
              室町幕府の動静
             西国の小林文書
              小林一族の移動
              応永の乱 資料
              論文 飯分 徹「応永の安芸国人一揆の再検討」
             播磨の小林一族 資料
             三人の小林重清について 資料
             乱の乱発と結城合戦
              禅秀の乱
              永享の乱 資料
             古河公方成氏の幼名 資料
              嘉吉の変
              公方成氏と江ノ島合戦
             西国の小林氏 資料

    四   戦 国 期 の 争 乱 

             時代概説
              暗黒時代    
             小林豊前守とその子平三 資料
             国府台合戦 資料
              河越合戦
             信濃国小県郡当郷 資料
              中世の城館跡
              当郷横手の館跡
             小林平四郎の活躍 資料
             小林平四郎宛文書と「上信同盟」 資料
             平井城史研究 資料
             上野・信濃・甲斐の小林一族 資料
              小林五郎左衛門
              戦国遺文 武田氏編
              穴山・小山田氏
             川中島合戦 資料
               永禄元年の上野國長野氏着到状
                           小林蔵内三兄弟
              小田原衆所領役帳と小林土佐守
              双林寺伝記、安中の住人小林某
              関東幕注文と小林出羽守
             那須記「宇都宮国綱家臣小林氏」
             武田氏と小林監物 資料
             永禄の平姓小林一族 資料
             武田信玄の西上野支配
              上信両国武士の交流
              生島足島神社起請文 資料
             中世甲斐の小林氏資料 資料
              戦国期の権力構造 資料
              論文 矢田俊文「日本中世戦国期構造の研究」
              甲斐都留郡小林氏 資料
              論文 小佐野浅子「甲斐国都留郡小林氏の
                             系譜と本拠」 
             戦国上野の小林氏 資料
             三者三様の小林氏
             西国の小林一族 資料
             
    五   戦 国 織 田 ・豊 臣 政 権 

             時代概説
             安土桃山時代
              織田信長
              豊臣秀吉
             西国の小林氏一族 資料
             東国の情勢と小林氏諸流 資料
              小林松林齋と武田文書
              神流川合戦と後北条文書
             下野国鑁阿寺文書
              論文 新川武紀「戦国期下野における農民
                               闘争覚書」
              上野国八幡山番帳
             後北条氏攻めと西上野武士 資料
             中世信濃の小林氏記録
             小林氏にかかわる諸論文
               小和田哲男「後北条氏領国下の農民階層」 
               池上裕子「戦国大名の権力構造と領国支配」 
               小和田哲男「今川家臣団の研究」 
               伊藤一美「後北条氏下の安保氏について」 
               柴辻俊六「天正壬午甲信諸氏起請文の考察」 
               柴辻俊六「国人領主小山田氏の武田氏被官過程」 
              戦国武士小林一族の行方
               甲州地方の給人
               徳川家に仕官した小林氏
               結城家に仕官した小林氏
              中世末期末期の館林小林氏の記録・資料
              南関東(相模・房総)の小林氏
                滝川恒昭「戦国期江戸湾における小林氏の動向」
                同  「中世東国海上交通の限界・制約と
                               その対策」
              高野山清浄心院上野国供名簿・資料
              源姓赤松氏系の小林氏
          諸街道と小林一族の動向
                ─信濃・越後・西国への進出記録─

                 はじめに
               一 街道の歴史
                  1 古代の街道
                  2 中世の街道
               二 鎌倉幕府と宿と市
                  1 幕府と「駅路の法」
                  2 鎌倉御家人の小林氏
               三 南北朝期の小林氏
                  1 東国の情勢
                  2 京都・鎌倉を結ぶ北まわりル─ト
                  3 越後戦線と小林氏
               四 西国の守護代小林氏
                  1 西国戦線の小林一族
                  2 若狭国と山名・小林主従
                  3 京街道と小林一族の足跡
                  4 室町期の西国街道
                  5 山名氏の山陰進出
                     小林一族関連年表
                     山名氏略系図
                  6 幕府と決別した山名一族
                  7 山名時氏幕府に復帰
                  8 吉備の山陽道と歴史
                  9 備後・安芸の街道と小林氏
                  10足利義満と厳島参詣
               五 上野国の上杉氏守護体制
                  1 鎌倉府と東国
                  2 室町期の高山・小林一族
                  3 白旗一揆の時代
                     上杉氏諸流略系図
                  4 享徳の大乱
                  5 熊野信仰と小林一族
                  6 平井城主上杉憲政
               六 戦国期の小林氏
                  1 上杉憲政と小林一族
                  2 北条早雲の登場
                     後北条氏略系図
                  3 戦国の動乱と西上野
                  4 武田氏の信濃侵攻
                  5 武田信玄の信濃統一
                  6 信玄の西上野制覇
                     源姓武田一族略系図
                  7 北条領国を支える人々
                  8 豊臣秀吉と全国統一
                    おわりに
                    本稿引用文献

     六   江 戸 封 建 時 代

             時代概説
              徳川家康の関東入国
              家臣団の配置 
              家臣領地の検地
              封建制の徳川政権
             徳川家御家人の小林系図 資料
              『寛永諸家系図伝』と『寛政重修諸家譜』
              転載を終えるに際して
              家紋「揚羽蝶」の小林氏
              家紋の起源と歴史
              平姓小林氏の不思議
              平氏略系図
             『信濃史料叢書』の真田家と小林氏 資料
              寛永十年・明暦三年分限帳
              松代藩の諸役と役人名
              真田家文書
              高野山蓮華定院文書「佐久郡檀家証文」
             水野家に仕官の小林氏 資料
              山形市小林家の武田喜八郎「中世・近世
                             文書について」
             本多家に仕官した小林氏
              小林家の出自
              真田氏統治時代
              沼須の位置
              本多家統治時代
              本多家の藩士
              小林氏家系譜考
              家臣団の構成と小林氏 資料
              田中藩の分限帳
              藤井 誠編(田中藩研究記録)
                 仮題「藤枝田中藩資料」
                         (小林氏資料抄録)
             諸藩分限帳
              諸藩分限帳に載る小林氏の年別概数
              米沢藩分限帳と小林一族
              資料177 幕府・諸藩分限帳
             栃木県・下野国都賀郡小林の地名と小林一族
              下野国小山・「小山家旧臣帳」
              下野壬生氏旧臣帳
              皆川家家臣・戦死録(仮題)
             茨城県立図書館収蔵資料
              「小林家譜」松蘿館文庫 第九七巻
              「小林弥市先祖書」松蘿館文庫 第七九巻
              「佐竹家臣系譜」常陸太田市史編纂委員会編
              「水戸旧臣記」那珂町史編纂委員会編
              「明野町史」明野町史編纂委員会
             秋田県立公文書館収蔵資料
              「系図 42 小林」諸家系図
              「諸士系図 17 小林」
                        コ・エ・テ(古・江・天)
              「陪臣系図 小林」北東南小場
             福島県南会津郡只見の小林と小林氏 資料
             長野県「俳諧師小林一茶」 資料
               小林一茶に関わる新聞記事その他
              藤沢周平「一茶という人」
                   ─俗人であり詩人一個の謎の存在─
              矢代静一 俳聖を隣人のように「凡庸なる
                  者の道連      (中田浩二記者)
              湯本公夫・中村敦子
               北信濃の小林一族「一茶と古間の門人」
             長野県小諸市八満の「小林一族誌」 資料
               柏木易之「御影 用水・新田・陣屋」
               御影用水・新田開発、柏木家略系図、柏木家
               略年表、柏木実父方先祖書、柏木家と月向山
               金剛院、信州佐久郡御影郷開発之碑文、御影
               用水、御影新田村、御影陣屋、敬白起請文、
               武田家朱印状、武田勝頼書状、代官所資料館、
               御影陣屋の代官 
              群馬県県立文書館寄託文書
               群馬県の小林家近世文書
               資料 「小林家文書解題」
             大阪府 小林の地名と名字
             淡路国人形浄瑠璃小林六大夫
              
     七  明 治 維 新 と 近 代 社 会

              時代概説
              明治維新とその後の人名簿 資料
               『大日本人名辞書』復刻版 (講談社刊)
              『明治維新人名辞典』 (吉川弘文館刊)
              『国史大辞典』6 こばやし (吉川弘文館刊)
             「系譜と伝記」の小林氏情報の経過
              『姓氏家系大辞典』 資料
             県別姓氏家系大辞典(角川書店刊)資料小林氏
              『群馬県姓氏家系大辞典』
              『長野県姓氏家系大辞典』
              『岩手県姓氏家系大辞典』
              『山梨県姓氏家系大辞典』
              『神奈川県姓氏家系大辞典』
              『静岡県姓氏家系大辞典』
              『富山県姓氏家系大辞典』
              『愛知県姓氏家系大辞典』
              『石川県姓氏家系大辞典』
              『京都市姓氏家系大辞典』 
              『山口県姓氏家系大辞典』
              『鹿児島県姓氏家系大辞典』
             姓氏に関わる地方出版本 資料
              丸山浩一『あきた名字物語』
              和田 堅『新潟県民の名字・名前』
                       附 直江兼続の家臣小林氏
              遅澤俊郎『栃木の姓氏と家紋』
              大澤俊吉『埼玉の苗字』─名前風土記─
              土井中 照『えひめ名字の秘密』
              上州の苗字と小林姓 
               萩原 進『上州の苗字と家紋』上・下 
             広島県福山市東屋小林家文書 資料
             近代県別名字ランキングと分布地図 資料
              森岡 浩 分布とル─ッがわかる「名字の地図」
              県別『名字ランキング事典』ベスト50
             近代のすぐれた業績を遺した人々 資料
              大正・昭和の実業家小林一三 
              論文 鈴木勇一郎「小林一三と郊外開発」
              昭和の文芸評論家 小林秀雄 資料
              向井 敏『文章読本』
              小林秀雄『読書について』
                   木元 元による小林秀雄の解説
              小林秀雄(批評家)フリ―百科事典『ウイキペディァ』
             平成・時の人 小林 誠 資料
                     ノ─ベル物理学賞学者 小林誠
              ヒッグス粒子後の「新たな理論への入口」(「日経サイエンス」)
              小林 誠 「日本学士院」(個人情報)
              小林 誠 KEK(高ヱネルギ─加速器研究機
                   構)経歴
              小林 誠(物理学者)フリ─百科事典
                          『ウィキペディア』
             囲碁界の名誉棋士 小林光一 資料
              「囲碁界初の名誉三冠となった」(「読売新聞」)
             小林光一 公益財団法人「日本棋院」
               小林光一 フリ─百科事典『ウィキペディア』
             小林氏と小林の地名にかかわる参考資料
               偽りの小林系図 
               佐伯有清『古代氏族の系図』
                        付編小林氏の系図
              茨城県立図書館収蔵 資料
               「前峯」小林利外著の後半部に載る「小林家
                          の歴史について」 付録小林系図 
              九州の地名「宮崎県小林市」
                小林市立図書館提供資料
                「小林市文化財 第2号」 小林市教育委員会
                 「小林市の沿革」、「ひなもり 第2号」小林
               史談会刊」志戸本次郎「小林の名称考」
             全国の「小林の地名表」
             小林氏関連年表
             編集を終っての随想
             戸籍と氏姓に関する年表
             参考文献

             あ と が き